スタッフから退職の申し出があるたびに、「すぐに補充すべきか、このまま運用できないか」と悩む事務長の方は少なくないはずです。院長からは「人件費が重い」と言われ、現場からは「人手が足りない」と声が上がる。その板挟みのなかで、判断の根拠となる業界基準値と、院長に説明できる定型フローを持っておきたい、というのが本音だと思います。
本記事では、厚生労働省・日本医師会などの公的データをもとに、クリニックの人件費率の適正値と、退職時に「補充するか・しないか」を判断する5ステップフローを番頭視点で整理します。
クリニックの人件費率の適正値:個人24.6%・医療法人49.0%
結論からお伝えすると、無入院の個人クリニックでは医業収益に対する人件費率の平均が約24.6%、医療法人では約49.0%(役員報酬を含む)です(厚生労働省, 2023)。ただし、この数値は経営形態や診療科によって大きく異なるため、「自院がどの水準にあるのか」をまず正確に把握することが出発点になります。
個人と医療法人で数値が倍近く違う理由
最大の理由は、医療法人では院長(理事長)の役員報酬が人件費に計上されるのに対し、個人クリニックでは院長の取り分が「事業主貸」として処理され、人件費に含まれないためです。つまり、個人クリニックの24.6%という数値は「院長を除いたスタッフ人件費」、医療法人の49.0%は「院長を含めた総人件費」と読み替える必要があります。
自院の数値を他院と比較するときは、必ず同じ経営形態の平均値と突き合わせるようにしてください。
診療科別の目安:内科19.0%、整形外科は25〜30%超も
診療科による差は想像以上に大きく、内科の個人・院内処方クリニックでは人件費率が約19.0%に収まる一方、整形外科ではリハビリスタッフ(理学療法士・作業療法士など)が必要なため、25〜30%を超えることも珍しくありません。
主な目安は次のとおりです。
- 内科(個人・院内処方):約19.0%(日本医師会調査)
- 全診療所平均(個人・無入院):約24.6%(厚労省, 2023)
- 整形外科・リハビリ併設:25〜30%超になりやすい
- 医療法人(無入院):約49.0%(厚労省, 2023)
自院が複数科を標榜している場合や、自由診療を併設している場合は、単純比較ではなく「主たる診療科の基準値」を起点に評価するのが現実的です。
警戒ライン25%・危険ライン30%──このラインを超えると何が起きるか
経営的な目安として、無入院の個人クリニックでは25%を「警戒ライン」、30%を「危険ライン」と捉えるのが実務上の感覚値です。これを超え始めると、利益率の悪化だけでなく、設備投資や賃上げ余力の喪失といった次のステージの問題が顕在化してきます。
人件費率の計算式と、含めるべき項目
計算式そのものはシンプルです。
人件費率(%)= 人件費合計 ÷ 医業収益 × 100
ここで「人件費合計」には、給与・賞与・法定福利費(社会保険料の事業主負担分)・退職金引当・通勤手当などを含めます。法定福利費を除外して計算してしまうと数値が低く見えるため、必ず含めて算出してください。
「医業収益」は、保険診療収益 + 自由診療収益 + その他医業収益(健診・予防接種など)の合計です。月次の試算表をそのまま使えば算出できますが、賞与月だけが突出して高く出るため、評価は12か月平均で行うのが原則です。
警戒ライン超過で進行する2つの構造的リスク
警戒ライン(25%)を超え始めた段階では、まだ運用上の打ち手で改善余地があります。一方、危険ライン(30%)に到達すると、診療報酬改定一回分のマイナス改定で簡単に赤字へ転落するリスクが高まります。
加えて、2025年度における病院従事者の賃上げ率は平均2.41%にとどまり、一般産業の5.10%を大きく下回りました(四病院団体協議会, 2025)。診療報酬は公定価格のため、民間企業のように「値上げで人件費を吸収する」という選択肢が取りづらい構造にあります。この構造的背景を踏まえると、警戒ラインに近づいた段階で先回りして手を打つことの重要性が増しています。
退職者が出たときの不補充判断フロー:5ステップで院長に提示する
退職の申し出があったときに、感覚ではなく定型フローで判断するための5ステップを整理します。院長への説明資料としてもそのまま使える構成です。
ステップ1:その人が担っていた業務を棚卸しする
まず、退職するスタッフが日常的に担っていた業務を、付箋やスプレッドシートで列挙します。そのうえで、次の3つに分類してください。
- 必須業務:法令・診療上、誰かが必ず行う必要があるもの(処方箋発行補助、滅菌、レセプト点検など)
- 改善余地あり:仕組みやツールで効率化できるもの(来院受付、予約電話対応、紙の問診票回収など)
- 廃止可能:当初の目的を失い、現状では運用効果が薄くなっているルーチン(更新の止まった内部資料、参照されなくなった集計表など)
業務棚卸しを丁寧に行うと、「改善余地あり」「廃止可能」に分類できる業務が想定より多く見つかるのが通例です。番頭視点では、ここで切り出される非必須業務こそが、補充判断における最大のレバーになります。
ステップ2:ITや外注で代替できないかを検討する
「改善余地あり」に分類された業務について、IT化・外注化で吸収できるかを検討します。たとえば無人受付システムを導入すると、1日50名規模のクリニックで年間約600時間(1名あたり受付・会計で約3分削減×50名×営業240日換算)の削減が見込め、時給1,400円換算で年間約84万円規模の効果になり得ます。
そのほか、レセプト点検・記帳代行・労務手続きなどは外注に切り出せる業務の代表例です。「補充するか/しないか」の二択ではなく、「補充の代わりに何に投資するか」という第三の選択肢を常に俎上に載せてください。DXを起点に役割転換と自然減での不補充を組み合わせる設計の考え方は、別記事「クリニックDXでスタッフ配置はどう変わるか」で詳しく整理しています。
ステップ3:残るスタッフへの負荷をシミュレーションする
仮に補充しなかった場合に、残るスタッフ一人ひとりの業務量がどう変化するかを試算します。ここを甘く見積もると、連鎖退職という最悪のシナリオを招きかねません。
具体的には、各スタッフの現状業務時間に「不補充で吸収する業務時間」を加算し、所定労働時間に対する充足率を見ます。所定労働時間160時間/月に対して110%超は概ね月16時間以上の残業常態化を意味し、労基法36協定の原則上限(月45時間)には届かないものの慢性的な負荷増となる水準です。充足率110%を超えるスタッフが一人でも出るなら、不補充の選択は離職リスクと隣り合わせになると考えてください。
ステップ4:人件費率への影響を試算する
ステップ1〜3を踏まえ、補充するパターン/しないパターンそれぞれで人件費率がどう動くかを年間試算します。社会保険料の事業主負担(給与のおおむね15%前後)まで含めて算出してください。
このとき、警戒ライン(25%)・危険ライン(30%)に対して自院がどの位置にいるのか、補充の有無で線をまたぐかどうかを、院長が一目で分かるグラフ1枚にまとめると、意思決定の速度が一段上がります。
ステップ5:院長への意思決定提示
最終ステップは、ステップ1〜4をA4一枚にまとめて院長に提示することです。「補充すべきか」を院長に丸投げするのではなく、番頭として「補充しない+IT投資100万円」「補充するがパート比率を上げる」「正職員で補充する」などの選択肢を、それぞれの人件費率インパクト付きで並べます。
なお、看護師・診療放射線技師・薬剤師など資格要件のある専門職については、原則として補充を前提に考えてください。これらの職種は欠員時の業務代替が法令上できず、不補充は診療継続そのものに直結します。
補充以外で人件費率を下げる3つの打ち手
「補充しない」だけが選択肢ではありません。現場運用を変えて生産性を上げる打ち手も、同時並行で検討する価値があります。人件費以外の費目を含めた全体最適の進め方は「クリニックのコスト削減 実務ガイド」もあわせて参照ください。代表的なものを3つ紹介します。
タスクシフト・タスクシェア:書類業務と電話対応から着手する
医師や看護師が担っていた周辺業務を、医師事務作業補助者・看護補助者・受付スタッフへ移管する取り組みです。診療情報提供書の下書き、検査説明の事前案内、書類整理などを移すことで、高単価・高スキル人材を本来の専門業務に集中させられます。
着手しやすいのは「書類関連業務」と「電話対応」です。この2領域は医師でなくとも対応可能な部分が大きく、移管が進めば医師の診療時間や患者対応の質に直接振り向けられる時間を確保できます。まずは1か月分の医師業務を時間単位で記録し、「医師でなくてもよい業務」を可視化するところから始めてみてください。
雇用形態の最適化:正職員とパートの役割分担を先に決める
外来中心のクリニックでは、正職員とパートの比率を1:2〜3程度に置くのが運用上の目安として知られています。パート比率を上げると、社会保険料の事業主負担を一定程度圧縮でき、繁忙度に応じたシフト調整も柔軟になります。
ただし注意したいのが、社会保険の適用拡大の動きです。2022年10月に従業員101人超、2024年10月には従業員51人超の事業所まで、週20時間以上などの要件を満たす短時間労働者が厚生年金・健康保険の適用対象に拡大されました(厚生労働省, 2024)。さらに企業規模要件のいっそうの縮小・撤廃も国の年金制度改正の議論で継続検討されており、「パート=社保適用外」という前提は中期的に通用しなくなる可能性が高い点を踏まえて設計してください。
加えて、教育コストとサービス品質のバランスを欠くと逆効果になるため、「コア業務は正職員・周辺業務はパート」の役割分担を明確にしてから比率を動かすのが原則です。
IT投資の優先順位:3年回収を判断ルールに置く
優先度の高い順から、(1)予約・受付の自動化、(2)電子カルテと会計システムの連携強化、(3)オンライン問診の導入、というのが標準的な順序です。投資額に対する人件費削減効果(投資回収年数)を必ず試算し、「3年以内に回収できる施策から先に着手する」というルールを置くと、判断が一気にしやすくなります。
院長提示資料の最小テンプレート:A4一枚に5要素
最後に、退職申し出から1〜2週間以内に院長へ提示すべき資料の最小構成をご紹介します。
- 現状の人件費率(直近12か月平均、警戒ライン・危険ラインとの位置関係)
- 退職者の業務棚卸し結果(必須/改善余地/廃止可能の3分類)
- 3つの選択肢(補充する/補充しない/代替投資する、それぞれの人件費率インパクト)
- 推奨案と理由(番頭としての推奨を1つに絞り、リスクと前提条件を明示)
- 次の意思決定タイミング(3か月後・6か月後のレビュー予定)
このフォーマットを一度作っておけば、次回以降の退職対応はテンプレートを更新するだけで完了します。判断のスピードと一貫性が、クリニック経営の安定性そのものを底上げします。
まとめ:基準値とフローを持てば、人件費の判断精度が格段に上がります
業界基準値(個人24.6%・医療法人49.0%)と警戒ライン25%・危険ライン30%を念頭に、退職時には5ステップのフロー(業務棚卸し→代替手段検討→負荷シミュレーション→人件費率試算→院長提示)で淡々と判断していくことが、結果として最も安定した経営につながります。
「うちのクリニックの人件費率は本当に適正なのか」「補充判断のたびに毎回ゼロから考えるのが苦しい」と感じている事務長の方は、一度、社外の番頭の目で全体を整理してみる価値があります。
合同会社未来共創機構の番頭代行サービスでは、人件費率の現状分析から、退職時の判断フロー整備、院長向け説明資料のテンプレート化までを伴走で支援しています。まずは現状の数値を一緒に整理するところから、30分の無料相談からお気軽にどうぞ。
参考資料
- 第24回医療経済実態調査(医療機関等調査)報告 ‐ 令和5年実施 ‐|厚生労働省
- 医療経済実態調査(医療機関等調査)|厚生労働省
- 医療業(小規模クリニック)業種別支援の着眼点|金融庁
- 2024年度病院経営定期調査 最終報告|日本病院会・全日本病院協会・日本医療法人協会
- 2024年度病院経営定期調査 中間報告|日本医療法人協会



