「AI問診を入れたら受付の仕事はどれくらい残るのか」「電話自動応答に置き換えたら、今の人数は本当に必要なのか」。クリニックのDX・AI導入を検討すると、院長の頭の片隅にこの問いが浮かびます。公の場では「雇用は守ります」と言いますが、本音では「投資した分、必要な人数は減るはず」と感じている。一方で、長く一緒にやってきたスタッフを整理する選択肢は感情的にも実務的にも取りにくい。この板挟みの中で、多くの院長先生がDX投資の意思決定を先送りしています。
この記事では建前論を脇に置き、人員削減に頼らずDX投資を回収するスタッフ配置の考え方を整理します。結論は 「既存スタッフを役割転換しつつ、次に誰かが辞めたとき後任を採用しない(不補充)」 という設計です。クリニックDXのROIは「人を減らす」ではなく「次の採用を抑える」で取り戻す、という発想転換がポイントになります。
クリニックDXで本当にスタッフは減るのか — 工数と雇用は別問題
クリニックDXを本格的に進めれば必要な工数は確実に減ります。ただし、その工数減を「既存スタッフの人員削減」として実行することは、法的にも経営判断としても成立しにくい。ここが院長が押さえておくべき出発点です。
工数は減る。でも雇用契約は別の論理で動く
ユビーAI問診では外来の問診時間が従来の約3分の1に短縮された事例があります(Ubie株式会社プレスリリース)。電話自動応答や予約のWeb化、会計の自動精算機を組み合わせれば、受付・医療事務まわりだけで数名分の工数が浮いても不思議ではありません。
一方、雇用契約は工数とは別の論理で動きます。日本の解雇規制は厳しく、経営判断による整理解雇には4要件(人員削減の必要性・解雇回避努力・人選の合理性・手続きの相当性)を満たす必要があります。AI導入を理由に既存スタッフを整理することは、法的にも感情的にもハードルが極めて高いのが現実です。
既存スタッフのリストラが「割に合わない」理由
仮に法的ハードルをクリアできたとしても、以下のリスクがあります。
- 離職連鎖: 1人の整理解雇が他のスタッフの不安を呼び、自発的退職が続く
- 採用市場での評判低下: 医療業界は地域内の口コミが強く、求人に応募が集まらなくなる
- 残ったスタッフの負荷増: DX移行が完了するまでの過渡期は、むしろ業務が増えがち
院長の本音にある「必要な人数は減るはず」という直感は正しいものの、それを既存スタッフの削減として実行する道はほぼ閉ざされています。
残る選択肢は「役割転換 + 自然減で不補充」
残る道は、①既存スタッフを新しい役割にタスクシフトして雇用を維持しつつ、②次に誰かが自然に辞めたとき後任を採用しない という二段構えで総人員を縮小していくアプローチです。次のセクションで、その経済合理性を数字で確認します。
クリニックの自然退職は年間どれくらい起きるのか — 不補充の前提条件
厚生労働省「令和6年雇用動向調査」(2024年)の医療・福祉分野の離職率は13.1%(産業計11.5%を上回る)。スタッフ7名体制なら年に1名前後は自然に退職する計算です(7名 × 13.1% ≒ 0.92名)。3年で2〜3名分の自然減ポジションが発生します。不補充戦略はこの数字の上に成立します。
採用1名にかかる費用は70〜120万円
この自然減のたびに後任を採用するか、しないか。判断材料として、採用1名にかかる費用の相場を押さえておきます。
| 職種 | 採用単価の目安 | 出典 |
|---|---|---|
| 医療事務 | 70〜105万円 | メディカルリンク調査 |
| 看護師 | 76〜120万円 | メディカルリンク調査 |
求人媒体費・人材紹介手数料・採用担当者工数を合算した金額です。人材紹介経由なら年収の25〜35%が手数料になるため、看護師1名で100万円超も珍しくありません。
不補充1名で年間370〜670万円の支出が発生しない
「採用しない」という意思決定を1回するだけで、採用コスト70〜120万円と年間人件費300〜550万円が同時に発生しなくなり、合計で 年間370〜670万円の支出が発生しない 計算になります。これが「不補充」の経済的インパクトです(コスト構造全体の見直し方はクリニックのコスト削減 実務ガイドも参考になります)。
DXで削れる業務と残すべき業務をどう見極めるか — 役割転換マップ
役割転換を成功させるには、「機械に渡す業務」と「人が担い続けるべき業務」を最初に切り分けておくことが必要です。クリニック業務を3類型に整理すると移管先が見えてきます。
| 業務分類 | 業務の例 | 移管先 |
|---|---|---|
| 定型・反復業務 | 問診の聞き取りと転記、電話予約受付、再診の会計、保険証の確認・スキャン | システム・AIへ |
| 非定型・対人業務 | 患者の不安への声かけ、診療内容の追加説明、クレーム初期対応、術前術後のフォロー | 既存スタッフが継続 |
| 新規・付加価値業務 | SNSやGoogleビジネスプロフィールの運用、患者データの分析と院長への報告、自費診療の患者コーディネート、口コミ対応 | 既存スタッフへ移管(要育成) |
移管と維持・拡張の判断基準
定型・反復業務(問診転記、電話予約、再診会計、保険証確認)はAI・システムへの移管対象です。一方、待合室での患者声かけ、診療内容の補足説明、術前後フォローといった「対人で患者満足を生む」業務はスタッフが担い続けるべき領域です。院長先生がご経験の通り、患者が「またこのクリニックに来たい」と感じる瞬間は診察そのものより、前後のスタッフとのやりとりで生まれます。定型業務から解放されたスタッフは、SNS・GBP運用、月次データ分析、自費診療コーディネーターといった「院長がやる時間がなかった」新規業務に移管できます。
「次は採らなくて済む体制」をどう設計するか — 3ステップのプロセス
不補充戦略を実務に落とすには、以下の3ステップを順に踏みます。
ステップ1: DXで削減できる工数を「人数換算」で試算する
ベンダー事例や無料トライアルを使い、月間削減時間 ÷ 月間労働時間(約160時間)= 何人分の工数を削減できるかを算出します。「1名分を下回る」なら不補充後の体制に無理が出るため、ツール選定を見直す判断材料になります。クリニックのAI効率化 業務別ガイドも参照ください。
ステップ2: 既存スタッフのタスクシフト先を先に決める
「浮いた時間で何をやってもらうか」をDX導入前に決めておきます。後回しにすると、浮いた時間が「ちょっと余裕ができた」で消費され、効果が見えなくなります。新規業務(SNS運用・データ分析・コーディネーター業務など)から、各スタッフのスキル・適性に合わせて1人1テーマを割り当てるのが現実的です。
ステップ3: 「不補充の判断基準」を文書化しておく
次の退職者が出たときに、感情に流されず「補充するか / しないか」を判断できる基準を、院長と事務長(あるいは番頭代行)の間で文書化しておきます。
- DX効果で1名分以上の工数が浮いている
- 残るスタッフの新規業務への移行が完了している
- 退職する職種の業務がDX or 他スタッフでカバー可能
基準が事前になければ、退職届を受け取った瞬間に「とりあえず求人を出す」という反射的な判断になりがちです。
スタッフへの説明責任 — 院長が選ぶべき言葉
役割転換と不補充戦略は、説明設計で成否が分かれます。「あなたの仕事はなくならない」と保証すると「では今までと同じ仕事」と受け取られてしまいます。代わりに使えるのは「今まで機械的にやっていた作業を機械に渡して、患者さんに向き合う時間を増やしたい」というフレーミングです。
スタッフが感じる不安は「雇用が消える」「スキルがついていかない」「評価基準が変わる」の3類型が多く、説明会で先回りして応答を用意しておくと不安の累積を防げます。また「次に誰かが辞めても補充しない」という方針は院長と経営参謀の間だけで共有し、退職者が出たタイミングで「今いる体制で回していこう」と伝える形が現実的です。
よくある質問
Q. 退職者が出ても採用しない(不補充)は違法ではないか?
A. 違法ではありません。不補充は「次の採用を見送る」経営判断であり、既存スタッフを解雇する整理解雇とは法的に別の行為で、4要件(人員削減の必要性・解雇回避努力・人選の合理性・手続きの相当性)も適用されません。残るスタッフの労働時間が法定上限を超えないこと、業務分担に著しい不公平が生じないことなど、労働条件面の配慮は必要ですが、不補充そのものを禁じる法律はありません。
Q. 補助金は人員削減と矛盾しないか?(省力化投資補助金との整理)
A. 中小企業省力化投資補助金の公募要領では、効果報告期間中の「自然退職や自己都合退職によらない解雇を積極的に行わないこと」が要件です。自然退職に伴う不補充は要件違反になりません。整理解雇は対象外、自然減での体制縮小は許容、と整理しておけば問題ありません。
まとめ — クリニックDXのROIは「採用抑制」で取り戻す
クリニックDXを人員削減の観点で考えると、感情的にも法的にも実行が難しく、投資判断が止まります。視点を「次に誰かが辞めたとき後任を採らなくて済む体制を作る」 に切り替えると、回収の筋道が見えてきます。
- 医療・福祉の離職率は約13.1%。7名体制で年1名前後は自然退職する
- 不補充1名で年間370〜670万円が不発生(採用費 + 人件費)
- 既存スタッフは役割転換で雇用維持、新規業務(SNS・データ分析・コーディネート)にシフト
- 補助金制度は「自然減での不補充」を妨げない
このアプローチは院長の本音(必要人数は減るはず)と建前(雇用は守る)の両立を成立させます。一方で、役割転換マップの作成・不補充判断基準の文書化・スタッフへの説明設計を院長お一人で進めるのは負担が大きい領域です。
合同会社未来共創機構の番頭代行サービスでは、CFO/COO/CHRO/CMOの4領域を横断する立場で、クリニックのDX投資設計と人事設計を一体で支援しています。「うちで不補充戦略は成立するか」「どのDXツールから入れるべきか」といった、まだ何も決まっていない段階のご相談を無料相談で承っています。意思決定の前に一度整理しておく方が、ツール選定も人員設計もスムーズに進みます。
参考資料
- 第24回医療経済実態調査の報告(令和5年実施)|厚生労働省
- 令和6年雇用動向調査結果の概況|厚生労働省
- クリニックの人件費とは|株式会社ソラスト
- 医療事務の平均採用単価は?採用コストを抑える方法も解説|メディカルリンク
- 看護師の平均採用単価は?採用コストを抑える方法も解説|メディカルリンク
- Ubie株式会社プレスリリース(AI問診の業務時間削減効果)
- 医師の働き方改革を進めるためのタスク・シフト/シェアの推進に関する検討会|厚生労働省
- 中小企業省力化投資補助金 公募要領
- 中小企業省力化投資補助金 公式サイト



